翻刻
【右丁】
元服し御諱字を給り従四位下侍従兼薩摩守に
なされ十五年家をつく《割書:六十万五千|八百石余》かねて将軍家の仰
をかうふりて正保四年十一月十三日武蔵国王子村に
して家臣等に犬追物射させて御覧にそなふ物を
給ふ事おほく家臣等におよふ献れるものまたすく
なからす慶安四年十二月廿五日左少将になさる廿六日
子息綱久元服し御諱字を賜ひ従四位下に叙し
侍従薩摩守に任し父光久大隅守になる寛文十三年
二月十九日薩摩守綱久とし四十二歳にて父にさきたつて
卒す光久嫡孫修理大夫綱貴をもつて嗣とす綱貴初め
【左丁】
寛文七年十二月元服し御諱字を賜四位下の侍従に
なされ修理大夫をかぬ延宝元年十二月廿八日光久
中将同き三年正月七日従四位上
右馬頭源忠興《割書:島津と|称す》相模守忠良か二男陸奥守
貴久か弟右馬頭忠将か孫也始め忠将大隅国廻の戦に
うち死し其子右馬頭以久父につく以久か嫡男右衛門尉
阿木彰久は朝鮮海路の戦にうち死す二男重将は伊集院
か家をつく三男右馬頭忠興将軍家にめしつかはれ日向
国佐土原の地をわかち領す其子右馬頭久雄五才にして
父につき承応三年十月あらためて但馬守となる寛文