翻刻
【右丁】
母上の御方より参らせらるゝ旨にて輿むかへ取て相見る
に隆信の母也けり清房もつての外に驚きおそる隆信
の母清房にむかひ隆信いまた幼なく祖父と父とにはなれ
参らせたのもしき人ひとりもなしわ殿の子ともよのつねの
人にあらすわらは子として隆信兄弟とせんと思へはかくは
はからひし所也さのみなあやしみ給ひそとて清房か妻と成
し上は信房信生隆信か兄弟とは成てけり《割書:いとこちかひに|て世にいふゆき》
《割書:あひ兄|弟也》永禄六年同国有馬晴純入道仙岩北代郡に向て
千葉胤連と軍す隆信軍勢をひきゐて千葉をたすく
此胤連と申はむかし左衛門大夫信生か幼き時養ひし人なれは
【左丁】
信生其恩に報せん為まつさきにすゝみ戦てかたきの
勢を打やふる《割書:信生時に廿六才|これ高名の初か》元亀元年春大友左衛門督
義鎮入道宗麟隆信をうたんとて十万余騎を引率し
肥前国にむかふ同き四月廿三日隆信高尾に出向つて
戦ふ信生か謀ゆゝしくして手合の戦に勝軍すされ
ともかたき目にあまる多勢なれはこゝかしこに攻入て
同き八月十九日大友の先陣同き八郎親貞今山に陣取て
諸方の寄手明日すてに佐賀の城を攻んとす龍造寺
家滅へき事此時にきはまりぬ此夜左衛門大夫信生
隆信をすゝめて親貞か陣に夜討しをのか手勢十七騎