翻刻
【右丁】
にて先をかけ隆信続てきつて入る八郎か陣おとろき
みたれ親貞終にうたれ死す先陣すてにやふれしかは
義鎮か軍散々に戦なつて本国に引かへす《割書:信生人に|かたりしは》
《割書:此夜大友か陣に忍ひ入て相図の時をまちし程にかれか杏葉|のまくの紋あかつきのともし火にうつらふてあさやかなるを》
《割書:うち詠めあつはれ今夜かち軍したらんにはとつて我紋とせん|ものをとおもひしか思ひのまゝに勝軍してかつは当家の佳例》
《割書:のため今よりは戦紋とすへしとて釼菱を|あらためて杏葉を紋とそしたりける》明れは二年信生小早
川左衛門督隆景とはかつて隆信か使となつて公方義
昭に参て鎮西追討の事を望しかは頓て御ゆるしを
蒙り信生又飛騨守になさる隆信武命を承り違
犯の国々追討し武威鎮西にふるひし事これしかしなから
【左丁】
信生か功とそ聞へける左衛門督隆景此時始て信生に
対面し信生の名誉かねても承及ふ所なり毛利
龍造寺両家の好みむすふへき見参のしるしに候とて
肥前国養父郡三百町のちをもつて信生にこそあたへ
けれされは良薬口ににかく忠言耳にさかふたとひにて
いつしか隆信をのか権威につのりみつからの武勇をたのみ
信生か事にふれてつねに諫言をたてまつる事をいとひ
思ふ心つき上には彼功を尊ふやうにも見へしか共内には
信生をとをさけぬへきはかりことに天正七年筑後国
柳川の城をかまへ彼国を鎮よとて信生に賜りけりこれ