伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(八・上) - 翻刻

藩翰譜(八・上) - ページ 34

ページ: 34

翻刻

【右丁】 にて先をかけ隆信続てきつて入る八郎か陣おとろき みたれ親貞終にうたれ死す先陣すてにやふれしかは 義鎮か軍散々に戦なつて本国に引かへす《割書:信生人に|かたりしは》 《割書:此夜大友か陣に忍ひ入て相図の時をまちし程にかれか杏葉|のまくの紋あかつきのともし火にうつらふてあさやかなるを》 《割書:うち詠めあつはれ今夜かち軍したらんにはとつて我紋とせん|ものをとおもひしか思ひのまゝに勝軍してかつは当家の佳例》 《割書:のため今よりは戦紋とすへしとて釼菱を|あらためて杏葉を紋とそしたりける》明れは二年信生小早 川左衛門督隆景とはかつて隆信か使となつて公方義 昭に参て鎮西追討の事を望しかは頓て御ゆるしを 蒙り信生又飛騨守になさる隆信武命を承り違 犯の国々追討し武威鎮西にふるひし事これしかしなから 【左丁】 信生か功とそ聞へける左衛門督隆景此時始て信生に 対面し信生の名誉かねても承及ふ所なり毛利 龍造寺両家の好みむすふへき見参のしるしに候とて 肥前国養父郡三百町のちをもつて信生にこそあたへ けれされは良薬口ににかく忠言耳にさかふたとひにて いつしか隆信をのか権威につのりみつからの武勇をたのみ 信生か事にふれてつねに諫言をたてまつる事をいとひ 思ふ心つき上には彼功を尊ふやうにも見へしか共内には 信生をとをさけぬへきはかりことに天正七年筑後国 柳川の城をかまへ彼国を鎮よとて信生に賜りけりこれ