伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(八・上) - 翻刻

藩翰譜(八・上) - ページ 35

ページ: 35

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【右丁】 隆信かほろふへき端となるこそうたてけれ同十年六月 信生武田殿父子うたれたまひぬと聞て天下かならす 秀吉に帰すへき事をしりてはる〳〵使者をまいらせて 音信を通る《割書:南蛮帽子をたて|まつりしとなり》鎮西の国人等使まいらせし初 なれは秀吉大に悦ひ石田備中守を使としてみつから 文書て告らる《割書:龍造寺記に出此石田|たれにやしらす》同十二年隆信信生か諫 を用すして同国まて馬をうたんとてみつから五万余騎を 引率し高木郡に発向し島津か弟中務大夫家久か 為に一戦に利を失ひ島原のほとりにうたれ死す 《割書:隆信時に|五十六才》其子民部大輔政家いまた幼なく龍造寺か 【左丁】 家すてにほろひんとす家子郎等はかりていそき 信生を佐嘉の城にむかひ入れ/権(かり)に国中の事を行 はしむ信生佐嘉にありと聞てかたき続て国中に 攻入事を得す信生叔父親によつて幼主たすけて みつから加賀守直茂とあらため名のりいかにもして 隆信か仇を報ひんとてつねに関白秀吉に使を たてゝ九州違命の輩御誅伐あらんには政家直茂 先陣を給るへしとそ望ける同き十五年関白島原を 退治のため筑紫の地に渡り給ひし時直茂政家と 共に最初に御陣に馳参り先陣を給る直茂年頃の