翻刻
【右丁】
素懐達すへき事此時にありと悦事かきりなくまつ先
かけて薩摩国に攻入島津終に戦まけ降人になつて
参りしかは九州二島悉くへいきん平均に属したり政家直茂
龍造寺か本領たふ政家いまた年わかし直茂政務を沙
汰すへきよしの仰を承りその後政家家たへて直茂
みつから国にあたる《割書:政家このゝち四位の侍従にいたりほとなく|卒す政家か三男駿河守高房をは直茂》
《割書:やしなふて子とせしかそれも二十二才にて世をはやふす高房か子|秀明うつたふる事ありて奥の会津になかされて年六十三才》
《割書:にてつゐにかしこに死し龍造寺か家|長くたへぬと云くはしき事はしらす》文禄の初より朝鮮の
事起る直茂加藤主計頭清正と共に先陣を承り
王城に攻入て咸鏡道をうちしたかへ和親事やふれし
【左丁】
後ふたゝひ軍起りしには直茂大閤にめされ蜂須賀
阿波守家政安国寺恵瓊と三人おなしく朝鮮の
軍奉行を承り大閤薨し給ひ朝鮮の事終り大坂の
奉行人徳川殿うしなひ参らせんとて大坂伏見の間物
騒しく既に軍起らんとす直茂最初に伏見に来て
徳川殿の御舘を守護す徳川殿悦給事浅からす
直茂申けるは此度の事はさておきぬ直茂か死したらん
後にいたるともなかく子孫に庭訓を遺し直茂か家
をもつて殿の御家とおなしく亡ふへきにて候恐ある
申事には候へとも殿にも此よしをもつて御子孫