伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(八・上) - 翻刻

藩翰譜(八・上) - ページ 36

ページ: 36

翻刻

【右丁】 素懐達すへき事此時にありと悦事かきりなくまつ先 かけて薩摩国に攻入島津終に戦まけ降人になつて 参りしかは九州二島悉くへいきん平均に属したり政家直茂 龍造寺か本領たふ政家いまた年わかし直茂政務を沙 汰すへきよしの仰を承りその後政家家たへて直茂 みつから国にあたる《割書:政家このゝち四位の侍従にいたりほとなく|卒す政家か三男駿河守高房をは直茂》 《割書:やしなふて子とせしかそれも二十二才にて世をはやふす高房か子|秀明うつたふる事ありて奥の会津になかされて年六十三才》 《割書:にてつゐにかしこに死し龍造寺か家|長くたへぬと云くはしき事はしらす》文禄の初より朝鮮の 事起る直茂加藤主計頭清正と共に先陣を承り 王城に攻入て咸鏡道をうちしたかへ和親事やふれし 【左丁】 後ふたゝひ軍起りしには直茂大閤にめされ蜂須賀 阿波守家政安国寺恵瓊と三人おなしく朝鮮の 軍奉行を承り大閤薨し給ひ朝鮮の事終り大坂の 奉行人徳川殿うしなひ参らせんとて大坂伏見の間物 騒しく既に軍起らんとす直茂最初に伏見に来て 徳川殿の御舘を守護す徳川殿悦給事浅からす 直茂申けるは此度の事はさておきぬ直茂か死したらん 後にいたるともなかく子孫に庭訓を遺し直茂か家 をもつて殿の御家とおなしく亡ふへきにて候恐ある 申事には候へとも殿にも此よしをもつて御子孫