翻刻
【右丁】
に仰つたへられ給はらんには直茂か幸なる事これに
すき候へきとのそみけれは徳川殿大に感したまひ
中納言にもその事を申伝ふへき所也とそ仰せける
明れは慶長五年秋徳川殿奥の景勝を御退治のため
御下向ありと聞えけれは直茂か息信濃守勝茂軍
勢を催し御跡をしたふて馳下るかゝる所に石田治部
少輔三成近江国愛智川の辺に新関すえて東国
下向の軍勢をおしとゝむ大坂の奉行等秀頼の
仰として書を勝茂に送る抑内府みつからの家
たてん事をはかりてやゝもすれは大閤の遺命に
【左丁】
ゆへ彼奉行等か謀におちてあやまつて父の御心にも
そむきし事かへす〳〵も無念也今は先非を悔るとも
およふへからす此上は内府の御使こふてすみやかに
腹をきり父のつみかうふらせ給はぬやうをこそはかる
へけれといふ宗徒の家人等これを聞て御自害の事
なをおそきにあらすひとまつ此旨をもつて陳し
給はんに徳川殿御ゆるしなからんにいたつてはとにも
かくにも御心に任せらるへうもや候君はいまた御年
廿一歳にこそならせたまへ徳川殿直茂の御契りを
覚しめし出されはいかて寛宥の御沙汰もなかるへき