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【右丁】
起りしには勝茂はせ上つて城をせむふたゝひ軍起
りし時西国は島津か船出ささらんほとは参るへからさる
よし仰下されしによつて参らす加賀守直茂とし
八十三歳にて元和四年六月三日に卒す信濃守勝茂
家をつき寛永三年八月四位の侍従に任す同き十四年
の冬同国高木郡島原の逆徒原の城にたてこもる
当時勝茂は関東に伺候す舎弟紀伊守元茂
甲斐守直澄兄の軍勢一万余人を引率して馳
向ふ十二月初め追討の御使板倉内膳正重昌下向し
鎮西の軍勢を催して城をせむ明れは十五年春正月
【左丁】
元日内膳正重昌うち死し寄手うたれ手おふもの
数をしらす鍋島兄弟か軍兵うち死三百八十騎手
おひしもの四百余騎雑兵は手負死人二千五百人と
そしるしける同き四日松平伊豆守信綱戸田左門氏鉄
下向すこのゝちはたゝ遠攻にす同き十六日信濃守勝茂
御いとまを給つて本国に帰る廿一日の夜城中ゟ【?】うつて
出鍋島か陣をおそひせむ鍋島か勢防きたゝかふて
うちとる所の首百余みかたにも秀島四郎右衛門尉討死し
侍の手おふもの廿余人雑兵八十余人におよへり勝茂
夜を日に継てはせ下る伊豆守信綱二月廿八日を以て