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【右丁】
よせ手一同に城攻へきよしを下知すかゝる所におなしく
廿七日の朝勝茂か先陣すてに城をせめやふりて入程
に諸手の軍勢我おとらしとせめ入て二三の城をせめ
やふり明る廿八日に城はなんなくおとしてけり勝茂か兵
うたるゝもの百六十人手おふもの六百八十三人勝茂
兄弟か功莫太也と申せともすてに軍法をそむきし
上はつみかうふりてしはしかほとは籠居せり勝茂年
七十八歳にて明暦三年二月廿四日に卒す嫡子肥前守
忠直《割書:元和五年十二月晦日叙爵す|その時御諱字給りしといふ》父にさきたちて卒しけれは
嫡孫光茂家をつく光茂はしめ慶安元年十二月廿二日
【左丁】
元服し御家号御諱字を賜り従四位下に叙し丹後守
に任し《割書:御刀を給|ふといふ》祖父の家つきて後《割書:三十五万|七千石余》明暦四年二月
侍従になさる其子信濃守綱茂寛文七年十二月廿五日
元服して御諱字をたまひ従四位下の守に任す《割書:御刀|をた》
《割書:まふこと例|の如し》
紀伊守藤原元茂《割書:鍋島と|称す》直茂か二男肥前国に城の
地をわかち領す《割書:七万四|千石》承応三年十一月十二日卒す五十三歳
其子加賀守直能つく其子紀伊守直頼
甲斐守藤原直澄【右に「イに隆】《割書:鍋島と|称す》直茂か三男肥前国蓮池の
地をわかち領す《割書:五万二|千石》寛文六年二月廿六日家を子息