伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(八・上) - 翻刻

藩翰譜(八・上) - ページ 43

ページ: 43

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【右丁】 難なく出て帰りしかはその名当時にあらはれぬ同き 十年青龍寺の戦ひ家政さきかけして高名す《割書:一番鑓|なり》 同じ十一年正勝播磨国龍野城を給ひ修理大夫従五位下 になされたり十二年志津か嶽の戦に家政また高名し 此年岸和田城に加勢して紀州雑賀の敵を破り秀吉 家政に勧賞の地を宛行はれ《割書:播州作用郡|三千石の地》同十三年四国の 地をうたれし時正勝家政父子一万余人をひきゐて秀長 に随ひ《割書:のちに大和|大納言と云》讃岐国におしわたつてかたきの城々 攻やふつて伊与国にうち入長曽我部元親降人に成て まいりけれは正勝父子阿波国を給る《割書:阿波の国一万石赤松に賜|といふ此説は土佐軍記に》 【左丁】 《割書:いつ秀吉家譜に阿波を小六家政にたまふとみゆこれは大閤記の説によつて|あやまれるなるへし土佐軍記にも正勝父子の功をのせたりいはんや此時》 《割書:正勝いまた世にありかれに|給ふ事うたかふへからす》明れは十四年五月廿一日正勝六十一歳 にして卒す家政父に継て叙爵し阿波守に任す 鎮西関東の軍に随ひ朝鮮におしわたり戦ふ事 およそ七年中にも大明の和親やふれてふたゝひ朝鮮 に攻入し時鍋島加賀守直茂安国寺恵瓊と三人同 しく軍の奉行承る大閤薨し給ひ朝鮮の軍終 て慶長五年秋徳川殿奥の景勝御退治のため御下 向ありしかは家政嫡男長門守至鎮御跡をしたひて 馳下る上方又軍起りぬ此時家政阿波にあり家人高木