翻刻
【右丁】
法斉大坂にあつて大谷刑部少輔吉隆か催促に随ひ
軍勢を卒し北陸道に攻下り頓て兵粮つきぬとて
帰かくて長門守至鎮海道の先陣して美濃国
にむかひこゝかしこの軍す軍既に終て後阿波守
家政家人高木か私に大坂の催促にしたかひ北陸道
に下りしをいかつてたちまちに所帯を没収して追却
すされとも世の人家政内々は父子東西にわかれていつ
れのかたにて我家立んとはかりけるなといひ沙汰し
けれは頓て子息に国ゆつり入道して蓬庵と号し籠り
居る至鎮家をゆつられて従四位下阿波守になさる
【左丁】
《割書:十八万|六千石》大坂軍起りし時蓬庵入道東海を押渡て関東
に参り将軍家の御跡を守り阿波守いた至鎮は摂津の
地にわたりてこゝかしこの要害せめやふり〳〵城を
せぬ【右に「め」】をのか陣に夜討うち入しに手の者下知して
よく戦ふ大御所蓬庵に御教書給て子息か功を
賞したまふほとなく東西和睦のゝち今年慶長十九
年十二月廿四日大御所阿波守をめして此度の功を
賞し給ひ彼家臣等の高名せし輩に御教書なされ物を
賜ふ事差ありき明れは元和元年正月十一日将軍家又
至鎮に御教書をなされ御家号をゆるさるふたゝひ