伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(八・上) - 翻刻

藩翰譜(八・上) - ページ 6

ページ: 6

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【右丁】 晴久父子六万騎を随へ吉田の城に向ふ元就讒に八千人を引 くし一日の間戦ふ事三度に及ひ手合の戦すてにかち軍 たりけれと敵もとより多勢なれは陣城二ヶ所に構へて 遠巻にこそしたりけれ大内此由を聞て陶尾張守晴賢 に一万騎をつけて元就をたすく明れは天文十年正月 七日の戦に元就先陣して尼子か多勢を打やふり ぬ毛利尼子と戦ふ事年を経て其勢既につかれぬと 見てけれは武田刑部少輔清重父か仇報はんとて五千余 騎を卒して吉田の城に向ふ《割書:信重は|元繫子》元就また武田か勢を うちやふり首七百廿余きつて同き年の三月清重の 【左丁】 金山の城におしよせたちまちに攻をとし武田は終に滅て けりかゝる所に天文廿年九月朔日大内左京大夫義隆尾 張守晴賢かためにうしなはれぬ元就これを聞てすみやかに 晴賢を誅して義隆の旧恩に報んとてまた晴賢と戦事 年を経て弘治元年十月晦日の夜晴賢か六万余騎厳 島に陣したるに元就か二万人兵船にとり乗ておし渡り 夜にまきれきつて懸る陶か軍勢一支もなくて散々に にけちるを首四千七百十八うつてすつ晴賢のかれかねて 終に腹きつて死すかくて晴賢押領せし国々を従へて 備前国を責しかは宇喜多直家降参す嫡男隆元を