翻刻
【右丁】
晴久父子六万騎を随へ吉田の城に向ふ元就讒に八千人を引
くし一日の間戦ふ事三度に及ひ手合の戦すてにかち軍
たりけれと敵もとより多勢なれは陣城二ヶ所に構へて
遠巻にこそしたりけれ大内此由を聞て陶尾張守晴賢
に一万騎をつけて元就をたすく明れは天文十年正月
七日の戦に元就先陣して尼子か多勢を打やふり
ぬ毛利尼子と戦ふ事年を経て其勢既につかれぬと
見てけれは武田刑部少輔清重父か仇報はんとて五千余
騎を卒して吉田の城に向ふ《割書:信重は|元繫子》元就また武田か勢を
うちやふり首七百廿余きつて同き年の三月清重の
【左丁】
金山の城におしよせたちまちに攻をとし武田は終に滅て
けりかゝる所に天文廿年九月朔日大内左京大夫義隆尾
張守晴賢かためにうしなはれぬ元就これを聞てすみやかに
晴賢を誅して義隆の旧恩に報んとてまた晴賢と戦事
年を経て弘治元年十月晦日の夜晴賢か六万余騎厳
島に陣したるに元就か二万人兵船にとり乗ておし渡り
夜にまきれきつて懸る陶か軍勢一支もなくて散々に
にけちるを首四千七百十八うつてすつ晴賢のかれかねて
終に腹きつて死すかくて晴賢押領せし国々を従へて
備前国を責しかは宇喜多直家降参す嫡男隆元を