翻刻
【右丁】
足利殿も《割書:義輝の|御時》此事を御感あつて錦の御鎧直垂を
下し給り鎮西の守護職に補せられしは有かたかりし
事共也元就おふくの男子あり嫡男隆元《割書:大膳|大夫》次男元春《割書:吉川駿|河守》
三男隆景《割書:小早川|左衛門佐》四男元秋《割書:少輔十郎尼子の|家をつくと云》五男元清《割書:穂田備中|守これ宰》
《割書:相秀元|の父也》六男元政《割書:少輔六郎系図|には七男のよし》七男元康《割書:紀伊|守》八男元綱
《割書:のちに久留米藤|四郎秀包と云》とそ申ける嫡男大膳大夫隆元は父にさき
たちて卒す其子中納言輝元也元亀元年元就七十五歳
にて吉田の城に卒し嫡孫右馬頭輝元年十五歳にて家を
つく叔父元春隆景家人等と相議して軍国の事を裁
断す天正元年義昭将軍織田信長かために逐れたまひ
【左丁】
毛利を頼ませ給ひしかは備後国鞆の浦にむかへ奉りよきに
かしつきける信長やすからぬ事に思ひ同き五年の頃をひ毛利
と織田の軍起り羽柴筑前守秀吉大将を給りまつ播磨
国をうち随へ備前国を初て因幡伯耆の国人等を降し
同十年の春備中国にせめ入冠河屋等の城をおとし高松の城を
せむ輝元元春隆景八万余騎をひきゐて後巻せんとて打
出つ信長の軍勢又霞雲の如く攻下るを聞へしかは毛利の
人々相議備中備後伯耆三ヶ国を信長にさけ渡し中
直りすへしとて秀吉の許に使して長く両家のよしみを
結ふへき由をいひ送る事度々に及ふかゝる所に同六月三日