翻刻
抔(など)と云ものあれども天の理に逆(さか)ふ也 鳥(とり)獣(けだもの)虫(むし)に至(いた)る迠(まで)
死を恐(おそ)れざるなし況(いわん)や人においてをや人 上発(じやうはつ)気発(きはつ)せ
ずんば病に負(まけ)るなり既(すで)に哀(あはれ)の物語(ものがたり)を《振り仮名:聞■|きくとき》#1は心(こゝろ)沈(しづ)み
勇(いさ)ましき物語を聞■は心 発(はつ)す然(しか)るを病人いまだ死
せざる前(まへ)より仏像(ぶつざう)を掛(かけ)念仏 三昧(さんまい)しかのみならず薬
を止(やめ)させ読経(どくきやう)し病 平愈(へいゆ)を祈(いの)るか無念往生(むねんわうじやう)を進(すゝむ)
るにかあるなれとも病を去(さる)べき術(しゆつ)有(あつ)て死を急(いそ)ぐとは
苦痛(くつう)を遁(のがれ)んとあるべけれど其苦痛も薬(くすり)のあたらざる
故也一日半日たりとも生延(いきのび)るこそ天地への勤(つとめ)也 一度(いちど)
は死するものなれば決定(けつぢやう)の覚悟(かくご)を極意(ごくゐ)とし今 死(し)ぬ
迠も死ぬまじと思(おも)ふ時は病に勝(かつ)也とかく病にまける
故に体(たい)をつからす既(すで)に愛欲(あいよく)の念慮(ねんりよ)有(ある)人 精(せい)を失(うしな)
て死せざるあり恥(はづ)べき事(こと)なり必竟(ひつきやう)余念(よねん)を生ずる故
死をとげがたし試(ため)し見るに金銀(きん〴〵)のために死を惜(おし)
む輩(ともがら)あり生(うま)るゝ時 持来(もちきた)る哉(や)天下の宝(たから)を預(あづか)り居(いる)
といふ事を知らぬ愚(ぐ)の甚(はなはだ)しき也死する時こそ無(む)
念(ねん)無想(むさう)にして仏果(ぶつくわ)の生離(せうり)こそありたけれ命数(めいすう)
尽(つき)ざる命病のため失ふは天の性(せい)を知らぬなり父