翻刻
【右丁】
《割書:竹千代君御つゝかなく帰たまひし事は松平周防守康親か|伝又付録のうち石川伯耆守数正か伝につまひらか也》去程に氏真は舅の
武田入道信玄のために駿河国を破られて遠江国掛川の
城に落来り徳川殿と戦ひ城すてにおつへきに 至て
政親幷に石川日向守家成につきて 城中のものともの命
こひ当国をさけわたして相模国にそ落給ふ《割書:永禄十三|年の事也》去し
永禄六年一向専修の門徒等かそむき参らせしに荒川
甲斐守義広逆徒等にくみす政親西尾の城に在て
【「下」脱ヵ】野守のかたきと戦て終に荒川をも討亡ほしかくて政親
年をとろへていたはる事あると聞召徳川殿大に驚かせ給
ひ平岩七之助親吉に仰せて医療の事をはかりみつからも
【左丁】
その家に入らせ給ひ申をく事あらんには聞召へきよしを仰らる
政親嫡子与四郎重忠二男与七郎忠利を御前にめし
政親何事をか申へき君の御めくみを蒙て此二人の子息
等か奉公の節をいたさんにおのか器量に随て其浅深こそ
候はめ忠をつくし義をつくさん心はなとか同し心にはあら
さるへきたゝ此事をこそ致しをけこれより外君にむかひ
まいらせて何事をか申へきと申て天正四年六月六日に
こそは卒しける《割書:神谷の何某御家人にめされし初政親にゆきあひて|路次の礼をいたす政親はかくともしらて打すきたり》
《割書:この後神谷政親にあひてすこふる無礼をあらはす徳川殿此よしを聞召|神谷かつねのふるまひを試させたまふに心直にして行正しく奉公の労を》
《割書:こたらずかゝるもの御勘当あらんには御家人等皆身をあやうきものにおもふ|へし又政親讒したりなとおもひなんさりとてそのまゝにめしつかはれん》