翻刻
【右丁】
《割書:には家の司のいきほひ日々につきて事又おさまるへからすせんする所かれ|に所領給らん時かねての約にたがはゝ一定我家をさるへきもの也と思召》
《割書:て八百石を給らんとの御下文をなさる政親御前にまいりて神谷所領給る|へしと承るかれかふるまひよのつねならす過分の所領たまふへきもの也と》
《割書:申すかれはおこのふるまひする男ときけは八百石の領給らんと思ふ也と仰らる|政親大におとろきこれしかるへからすかれらかこときに所領約のことく給らさらん》
《割書:には此のち誰かは出てつかふへき只過分の所領たまふへきもの也と申す徳川殿|汝かなす所心得す家康か家にして 汝らにむかひて 無礼せんものたれか》
《割書:あるへきかれに給ふ所約のことくならさらんにはかれは一定我家をさるへしと|思ひてかくははからふ也と 仰られしかは政親つゝしみ承て不背には候へども》
《割書:君の御恩によつてかゝる身と成て候へは御家人のうちにあやまつても人ひさを|からめ手をつかねぬものは候はすそれに此神谷か心つよく無礼をあらはす条》
《割書:かれもし君の御恩に感してたに候はんにはかならす御大事あらん時身をも家|をもわするへきものと思ひなして候ひしに所領多く給へかしと申すさらは》
《割書:いかはとか賜らんとあれは二千石をや給ふへきと申すたゝ約のことく千石|をこそ給ふへけれとありしに政親のそみこふ事やます宿老の人々さらんに》
《割書:おゐては千五百石をや給ふへきと申けれはやかて神谷をめしてありし事|とも一々に仰下されて千五百石の領を充行わる神谷感涙にたへす》
《割書:御前をまかりたちてすてに政親のもとにゆきむかひ此ほとの無礼を謝 ̄ス|そのゝち功名度々におよひつゐに足軽の大将を承る 徳川殿つねにこの》
【左丁】
《割書:事を執政の人々にかたらせたまひ汝ら政親か心を|心とすへきもの也と仰られしよしある書に出つ》嫡子河内守重忠《割書:初の名|与四郎》
父につく天正八年五月 田中の城の辺にて麦からせて帰
給ふに敵 望宗(モチムネ)の城に出て御後を襲ふ重忠宗徒の人々と
おなしく返しあはせ戦ふ首あまたとつて引返す天正
十八年小田原を攻られしに重忠先陣を承る此年関東
に移給ひしかは武蔵国河越の城をたまひ《割書:一万|石》子息兵衛大夫
忠世も此城の辺にて所領給ひ《割書:五千|石》武蔵守殿に付られ
たり 《割書:大相国家|の 御事》慶長六年二月上野国厩橋の城を《割書:三万三|千石》重忠
に同国那波の地を《割書:一万|石》忠世に賜ひ《割書:此時よりは|雅楽頭》同き十年忠世か
在京料として近江国の地をたまふ 《割書:栗太日野野州【ママ】等|の地五千石なり》