翻刻
【右丁】
御免あつて大老の職に任し延宝八年正月十二日所領
加賜ふ《割書:二万石凡て|十五万石を領》嫡男河内守忠明従四位下侍従に至る
二男下野守忠寛
日向守源忠能 阿波守忠行か二男父遺領わかち給ふ《割書:二万二|千石》
万治三年信濃国小諸の城を給ひ《割書:三万|石》御奏者の事を
うけ給る延宝七年九月六日 駿河国田中の城に移《割書:四万|石》
備後守源忠利は 雅楽助正親か二男也天正十二年蟹江の
城を攻らる其時忠利いまた与七郎と名のつて高名
をそきわめたり関東に移たまひし時武蔵の河越の庄
にて所領を賜《割書:三千|石》関ヶ原の戦には子息忠勝二人ともに
【左丁】
中納言殿の御供して軍にはあわす明れは慶長六年駿
河国田中の城を給ふ《割書:一万|石》同しき十一年 叙爵して
備後守となる十四年九月廿三日河越の城にうつる
《割書:二万|石》ことし十一月子息忠勝 叙爵し 同き十九年
讃岐守忠勝下総国にして 所領の地たまひ《割書:三千|石》
元和六年忠勝 大納言家に つけらる寛永四年
備後守忠利六十九歳にして十一月十四日卒《割書:ある書に|いはく或時》
《割書:大御所御前の人々に御物かたりありしかは酒井 備後守 か所領の地に|備後といひし百姓あり 忠利か家従等 かの百姓をめして 地頭の》
《割書:御受領を犯し名のる事 しかるへからす すみやかに あらため名のれと|いひしかはかのもの 大におとろきなけき某年〳〵の貢人よりさき》
《割書:にまいらせ月々の公役つゐにおこたれる事もなし しかるに いま|かゝる難義を承るこそ不運なれ某此所に久しくすみて代々備後と》