伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(五) - 翻刻

藩翰譜(五) - ページ 16

ページ: 16

翻刻

【右丁】 《割書:名のりほとりにはかくれなき もの也今さらあらため名のらん事|かなふへからす たゝ殿の御受領をあらためらるはきにて候といふ》 《割書:忠利これを聞て 年貢よく 納れ 公役をこたらす 神妙の事也|さらは汝はこの所の備後にこそあれ たゝそのまゝに候へとゆるしける》 《割書:凡世のおろかなる人はよしなき事に 人をくるしめ おのか威をたてん|とし 無益の事をつとめて有用の事をうしなふ此忠利は天性》 《割書:和にして愛ふかく其智またすくなからすけれは後かならす 栄ゆ|へきもの也と 仰られしと云々これを見て忠利の事推て知るへし》 嫡男讃岐守忠勝父に継く 寛永九年の春 大相国 薨し給ひ将軍家代をしりたまひしかは忠勝か年 来輔佐の功を賞し給ひ同九月十九日所領の地加賜 《割書:河越のほとりにて二万石 を給ひ|このゝち加恩度々にて十万石に成》同しき十一年 若狭国小浜 の城に移る《割書:十二万三千五百石余|越前小野の地を合て》正保のころ 大老の職に 補せられ四位の 少将に昇進し 年老ぬれは 【左丁】 明暦二年九月廿七日に 致仕し万治三年入道し 空予と号し寛文二年七月十二日七十六歳に して卒す嫡子備後守忠利 寛永十二年初て 小老の職をうけて其職に任せしかいかなるゆへ にや十五年十一月廿二日に職ゆるされて此後 病と称し出仕をもとゝめけれは末子修理太夫 忠直父かゆつりをうけて家をつく 大和守源忠栄は《割書:はしめ|越前守》讃岐守忠勝の嫡孫にて 備後守忠朝か男也寛文八年 叔父 修理大夫 忠直望み給ふて所領の地 をわかち あたふ《割書:一万|石》