翻刻
【右丁】
四年七月中納言殿は都に御座ありしに秀次関白又太閤
につみかふふりたまひ中納言殿を紉(スカ)し質として一旦の害を
のかれんと謀り朝とく御使あつて朝餉参らすへしと
ありしに大久保相模守忠隣その謀を察して中納言殿には
利勝等五六人御供にくせられ忍ひやかに伏見の御館に
わたらせたまふへし忠隣御あとの事をはよきにはかりなん
と申さらは伏見におもむき給ふには大路をや経たまふへき又
竹田路にやかゝらせ給はんと御道の程一定せす利勝かすゝめ
申によつて大路を経てつゝかなく伏見にこそ入らせ給ひける
《割書:くはしくは大久保|か伝に見へたり》慶長七年下総国にて小美川の地をたまひ《割書:一万|石》
【左丁】
其後従五位下に叙し大炊助に任し大納言家の宿老
となさる同十三年の冬所領の地一倍を加給ふ十五年春同国
佐倉の地を賜《割書:三万二千|四百石余》此年八月御使与【と】して駿河にまいりしに
大御所御茶入を賜つて《割書:諏訪国座|かたつき》汝関東に帰なは将軍家に
茶まいらすへしと仰下さる明れは十六年将軍家利勝か家に
ならせ給ふこれ大御所の仰によつて也此後次第に恩かう
ふりて大名となりあらためて佐倉の城を築く《割書:十四万二千石|を領す利勝》
《割書:に知行給ひし次第諸記のしるす所|異説まち〳〵也ゆへに 大略をとる》寛永三年八月従四位下同九月
侍従に任す同き九年の春大相国家かくれさせ給ひし時
利勝たゝひとりか謀をもつて天下を泰山の安きにおく