翻刻
【右丁】
徳川殿の御内にしてさるものありといふ事は天下に名をそ
しられける《割書:甲陽軍鑑等の中当時の|勇士のうちに撰み出されたり》関東に移給ひしのち伊豆の
国市原の地を給ひ其後叙爵して伊予守に任し《割書:中ころは|善右衛門》
《割書:と申せ|し也》歳積りて六十才慶長五年四月七日に卒しけり
備中守正次父につき御書院番の頭となり関ヶ原の戦に
したかつて《割書:御陣の|右に有》同き十五年十二月廿四日下総国 鹿沼の地
くはへ賜《割書:五千|石》十六年十二月十六日大番の頭となる《割書:家忠日記の|追加に出つ》
《割書:按するに諸役人系図|には十二年の事とす》大坂前後の戦に将軍家にしたかつて
双なき高名をそあらはしけりされは軍終つてのち
御家人等の高名不覚たゝし給し時岡山の戦に高名したる
【左丁】
人々はみな正次をもつて証人とすやかてその勧賞として
武蔵国岩槻の城あまたの地つけて賜けり《割書:三万石を|領すと云》元和六年
相模国小田原の城にうつり《割書:五万|石》同き九年七月宿老の
職になされ《割書:諸役人帳にことし 左大臣の|将軍宣旨の時正次老中也と注 ̄ス》寛永三年大坂の城
守るへきよしの仰を蒙る《割書:世に大坂御城代といふ一説に云|寛永五年七月の事と不審》正保四年
十一月二日正次か病急也と聞召驚かせ給ひ子息対馬守
重次御暇を給て大坂にをもむく正次とし七十九才にて
同き月十四日にそ卒しける 《割書:対馬守重次十一月二日御いとま給て|夜を日につきてはせのほるほとに》
《割書:同き八日大坂につきて父の病をみるにすてにかうよと見へしかは|今夜重次この所の奉行城番の人々に むかひ父か いたわりあし き(た)【左側に「◦」】ゆふべを》
《割書:まつへからすこゝにて身まかり候はんに 御座所をけがしまいらするの おそれ|すくなからすすみやかにわたくしの別業にうつし終焉の事をはからんと》