伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(五) - 翻刻

藩翰譜(五) - ページ 24

ページ: 24

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【右丁】 兄正澄か卒せしより 実父正次か よつきとなるいとけなき より左大臣家に仕奉り《割書:大猷院殿|の御事》寛永十年八月御扈従組 の番頭になされ同き十五年 宿老の職に 補せられ 《割書:老中の後も御扈従組番頭をかねたる○按するに老中も|少老も番頭をへすといふ人なしふかき御旨ありしとそ》岩槻の城を 賜ひ《割書:五万八|千石》正保四年所領の地加へられ《割書:一万|石》慶安元年七月十八日 父か遺領をあはせ給ふ《割書:父か遺領三万石合て九万八千石或人の|云三浦監物といひしは三河にて佐原何某》 《割書:といひしを徳川殿三浦と名のらせ給ひ其後次第に身を起して上総の大滝|三万八千石を領したり子なかりしかは備中守子重次をむこ養子とすその》 《割書:のち備中守嫡男死して重次実父のよつきになされし時監物わか領分の|うち六千石をわかち娘にゆつりたり重次はみつからの所領に妻の父より》 《割書:譲られし六千石を合せ領して実父の遺領をも又合せたれは九万八千石には|なりたりこれより重次が二男はしめは三浦と名のりたり》 同き四年四月廿日左大臣家薨したまひし夜殉死せり年五十歳 【左丁】 《割書:一説に五十八才也といふ○重次殉死の事 みな人不審しあへり此事のよし|のちにそ世にも もれける 故将軍家のかくれさせたまひし時対馬守》 《割書:重次堀田加賀守正盛にむかひいささらはおなしく冥途の御供に候へしと|いひけれは正盛大におとろきて対州なに事にか御供したまふへき若》 《割書:君いまた御幼稚なり 人々はひとりもおほく世にありて御成長のほと|天下の御政をたすけ奉られんこそ御供し奉るにそ大にまさるへけれ》 《割書:と制す諸老ともに制して加州ののたまふやうに存す重次ひとり|君の御恩をうけしのみにあらすこれに候人々たれかは御恩のもの》 《割書:なからさる対州も加州も一所に候わん日(に)【左側に「◦」】は皆々同し道にこそおもむく|へけれさらはたれあつてか一人いきのこりてわか君の御行衛をは見奉》 《割書:へき此事ゆめ〳〵しかるへからすといふ この時重次申けるは 重次か|御供仕るへき事のよしたれか以てしろしめさるへき とゝめたまふも》 《割書:ことはりなりさりなから重次か今まてかく世になからへさふらわんには|むかしは思ひもよらさる起事を駿河 大納言殿の御事候ひしに重次》 《割書:御使を承り仰下さるゝ旨ありし時重次かしこまつてめつらしからぬ|申事には候へともとしころ命をは君にたてまつりをきし上は御心やすく》 《割書:思召さるへしと申きつて高崎へまかりむかひし事の候一たひ故将軍|家に参らせて候命をこのゝち誰かためにをしみ候へきいかに人〳〵》 《割書:こそしろしめされすとも重次志のおもはん所もはつかしう候そや|ましてやわか君の御事は人々かくてましませは重次か思ひをく事も》