翻刻
【右丁】
《割書:候はすと人々にいとまこひして正盛と手に手をとりむかし 今の|物かたりしツヽ城門を出てたかひに輿に のる時にやかて〳〵といひて》
《割書:宿所にかへり腹切て|死せしと なり》同き八月嫡男千勝 二男吉兵衛 父か遺領を
わかち給ふ《割書:兄に本領のまゝ九万八千石|弟に新墾田一万六千石》又重次か遺言によつてその
甥 市正正能にも 重次か遺領をわかち賜る《割書:新墾田|六千石》千勝
成人のゝち備中守定高と申し年廿五歳にして万治二
年正月廿三日に卒す息男作十郎 いとけなかりしかば
成人の程伊予守重長家の事を知行す《割書:すなはち重次か二|男吉兵衛か事也》
《割書:伊予守我所領を合せて|十一万四千石を領す》いく程なくて作十郎成人におよひ
けれは 伊予守重長しきりに望請ふによつて寛文十一
年十二月十九日御殖を蒙て備中守定高か家を其子息に
【左丁】
ゆつる作十郎父か本領をうけて《割書:九万八|千石》ことし寛文十一年
十二月廿八日叙爵して対馬守に任し正盛【ママ 邦では】といふ
伊予守重長《割書:後に|正春》対馬守重次か二男はしめ父重次三浦
監物重政にやしなはる舎兄修理亮政【ママ】澄卒してのち
実父正次かよつきとなつておのか二男重長して三浦の
家をつかせけり承応二年十二月重長叙爵して三浦因幡守と
申す万治二年の正月重長か兄備中守定高卒してかの
男いまたいとけなかりしかは重長また本姓にかへりて
兄か家をつきてあらためて阿部伊予守とそ申ける定高
か男対馬守正興【邦ヵ】成人に及ひて後岩槻の城をゆつりて