伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(五) - 翻刻

藩翰譜(五) - ページ 25

ページ: 25

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【右丁】 《割書:候はすと人々にいとまこひして正盛と手に手をとりむかし 今の|物かたりしツヽ城門を出てたかひに輿に のる時にやかて〳〵といひて》 《割書:宿所にかへり腹切て|死せしと なり》同き八月嫡男千勝 二男吉兵衛 父か遺領を わかち給ふ《割書:兄に本領のまゝ九万八千石|弟に新墾田一万六千石》又重次か遺言によつてその 甥 市正正能にも 重次か遺領をわかち賜る《割書:新墾田|六千石》千勝 成人のゝち備中守定高と申し年廿五歳にして万治二 年正月廿三日に卒す息男作十郎 いとけなかりしかば 成人の程伊予守重長家の事を知行す《割書:すなはち重次か二|男吉兵衛か事也》 《割書:伊予守我所領を合せて|十一万四千石を領す》いく程なくて作十郎成人におよひ けれは 伊予守重長しきりに望請ふによつて寛文十一 年十二月十九日御殖を蒙て備中守定高か家を其子息に 【左丁】 ゆつる作十郎父か本領をうけて《割書:九万八|千石》ことし寛文十一年 十二月廿八日叙爵して対馬守に任し正盛【ママ 邦では】といふ 伊予守重長《割書:後に|正春》対馬守重次か二男はしめ父重次三浦 監物重政にやしなはる舎兄修理亮政【ママ】澄卒してのち 実父正次かよつきとなつておのか二男重長して三浦の 家をつかせけり承応二年十二月重長叙爵して三浦因幡守と 申す万治二年の正月重長か兄備中守定高卒してかの 男いまたいとけなかりしかは重長また本姓にかへりて 兄か家をつきてあらためて阿部伊予守とそ申ける定高 か男対馬守正興【邦ヵ】成人に及ひて後岩槻の城をゆつりて