翻刻
【右丁】
我身は本領なれは上総国大滝を領しぬ《割書:一万六|千石》
修理亮阿部正澄は備中守正次か嫡男父と共に戦て高名を
あらはし上総国大滝の地を給ふ《割書:一万| 石》ほとなく卒して其子
市正正能いとけなかりしかは叔父対馬守重次かもとにて
ひとなり重次卒しける時我所領の地をもわかちあたへし程に
《割書:新墾田|六千石》正能父の遺領と共に あはせて 是を領す《割書:一万六|千石也》承応
元年六月叔父豊後守正次かよつきとなる播磨守是也」
豊後守阿部正秋は伊予守正勝か二男左馬助正吉か子也
正吉若かりしより徳川殿につかへまいらせ度々の高名を
あらはす《割書:小田原の城をかこまれし時 城中より 鉄炮をはなつ事|をひたゝし 正吉すゝみて 鉄炮にあたりて手をひし事》
【左丁】
《割書:家忠日記に|見へたり》慶長四年十二月八日歩行衆の頭となり元和
元年五月七日大坂の合戦にみかた忽にみたれはしらんとす
正吉一人ふみとゝまつて御方を制し戦て終に 敵を打破る
《割書:世につたふる大坂の諸記に 岡山の戦に 将軍家の御手 たちまちに|みたれはしる正吉ひとりふみとゝまつてたゝかひみかたつゐにかつ事を》
《割書:得たり将軍家まのあたり 御覧したりし高名なれは此時の人々の|高名をも 不覚をも御たゝしあるに及ひて 正吉を証人になされしと》
《割書:いふ此説のことくなれは岡山の合戦に安倍兄弟を以て証人となさる|希代の事と云つへし◯按するに大坂両御陣供奉記のしるすところは》
《割書:左馬助は大御所御歩行頭四人の内也将軍家御歩行頭四人のうちにはあらす|されは左馬助正吉か岡山にて戦ひしといふ事いかなる事にや覚束なし》
元和三年元正次か闕に補せられて大番の頭となる是
よりさき慶長十五年十二月廿五日 息男小平次若君に
つけられたり《割書:大猷院殿|七才の御時》後に豊後守正秋と申せしは