伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(五) - 翻刻

藩翰譜(五) - ページ 27

ページ: 27

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【右丁】 これなり正秋いとけなきより風夜の奉公に懈らす 元和九年十二月御扈従組の番頭に至り叙爵して 豊後守に任し寛永元年正月十八日父正吉か遺領に我 所帯をあはせ賜ふ《割書:父か領五千石おのか領|千石すへて六千石》同き二年二月三日加恩を 蒙る《割書:此時に一万石|を領すといふ》同き三年正月十一日又所領を加へられ《割書:一万五千石|に至るといふ》 寛永九年二月宿老の職に 為さる《割書:一説に寛永十一年|二月の事と云不審》同 十一年《割書:閏》七月廿九日従四位下に叙せられ同き十二年十月 廿二日所領を加賜ひ《割書:一説に此時に二万五千石にいたると云又一説この時|に一万五千石にいたると二説いまたさたかならす》 同き十四年正月十二日下野国壬生の城を賜《割書:二万五|千石》 同き十六年正月十一日武蔵国忍の城に移《割書:六万石一説此後|正保四年加恩あり》 【左丁】 《割書:て六万石|にいたる》慶安三年の九月五日 大納言殿 西城に移らせ たまふによつて正秋を以てかの御家老につけらる同き 四年左大臣家薨しさせ給ひ右大臣家世をしろしめされし 年八月十六日侍従に任す明暦元年六月正秋か請に依て かの従弟故修理亮正澄か男市正正能を嗣と定られ 播磨守になる《割書:正秋かさねて望しか市正すてに正秋かよつきたる|うへはかれか異父正澄か所帯をは返し蒙るへき所也》 《割書:と申す将軍家このよしをきこしめし修理亮か遺領上総国大滝の地一万|石もとのことく 市正領すへし たゝし市正か 叔父 対馬守》 《割書:重次かいつか あたへし所六千石の地は備中守 定高か|父の領なれは 定高に返へしとそおほせ下さる》寛文三年二月 八日所領の地加賜ひ《割書:二万石をくはへ給ふて|すへて八万石を領す》同き十一年五月廿五日 致仕し延宝三年五月三日に卒しぬ播磨守正能実は