翻刻
【右丁】
遠江国森といふ所に配流せられ同き九年同国今敵【ママ】と
いふ所にうつされ廿年四月十五日 つゐに 配所にて
むなしくなる六十六歳とそ聞へける子息 因幡守
宗次も《割書:元和八年|叙爵す》父と一所に流されしか父か死せし後頓てめし返され
ほとなく御書院番の頭となされて禄【録は誤】を賜《割書:三千石○宗俊はしめて|幕府にまいりし時》
《割書:むかししたしき人々来りあつまり悦ひあへりし所を堀田加賀守打通|しかたちよりて誰にてわたり候そととふありあふ人々皆手をつかね青山》
《割書:因幡にて候と答へしかは 伯州の子息なといひしに宗俊又人〳〵にかく|とはせ給ふはたれ人にましますととふこれこそ加賀守殿にてまします》
《割書:といふ宗俊きゝ一もあへすさては勘左?の御息候かといひしかは人々皆名を|得たまふ当時加賀守にむかひ誰かはかくはいふへきさる人の子也けりと聞》
《割書:人みな感せしと古き|人の物語せしを承る》明る正保元年五月廿三日大番の頭に移慶安
元年《割書:壬》正月十九日信濃国小諸の城を賜《割書:三万石○此時左大臣家宗俊を|御前にめされ汝か父我いとけ》
【左丁】
《割書:なきよりわれをたすけその忠をつくし其議をぬきんてすといふ事なし|しかりとはいへともわれいまだとしわかくして事の情をわきまふる事》
《割書:あきらかならず当時はさもあらさりき 今こそ 思ひあはされたりつみ|なくして配所にて死せし事返〳〵も不便の至也せめてはかの亡魂のうらみを》
《割書:なくさめんかためにも信濃国小諸の城をもつて汝にたまふ所也汝又父か心を|心として竹千代につかふへしと仰もあへす御涙にむせはせ給へは宗俊感涙に》
《割書:たへかね申出すことはもなくて御前をまかりたつ|伺候せし人々も皆たもとをしほりしといふなり》寛文二年九月十五日
大坂の城守へきよし仰下され所領あまた加給ひ《割書:御城代となつて|五万石を領す》
同き九年十二月関東にめされて従下の四位になされ
色々の賜物あり御台所にもめされて御盃を下され
かつ音物多く賜つて帰さるこれ又希代の 寵恩とぞ
聞へけるかくてよはひすでにかたふきけり重職にたへすと
しきりにうつたへ申せし程に御許をかふふりて延宝六年