翻刻
【右丁】
爰に細川兵部大輔入道玄旨故の足利 侯(殿)【殿は朱書き】に近侍して当時
無双の有職の人也けり関か原の戦の後は都のほとりに
をはしたるに徳川殿此人につきて前代柳営の故事共尋
訪はせ給事ありし直勝御使に撰れてつねにかのもとに
行むかつて其事を伝ふ当代の礼節多くはかの入道の伝へ
し所によつて定られし所とそ聞へける《割書:謹て按するに天下の礼|はしめて定りしに及て》
《割書:やかて其の礼を講しさせたまひし神慮のほととかふ申すにおよはれず|礼にあらされはいかてか天下も国家も治るへき 然るに百年の今礼楽》
《割書:をこるへき期に 及ひて此事を|かたり伝ふる 人もなきはいかにや》大坂前後の軍に直勝か手勢六
千人を引具し大御所に属し奉る軍終て後諸手の人々
の高名不覚を御糺明有しに直勝か手の兵は直勝か
【左丁】
沙汰たるへきよしを仰下されて御糺明にも及はす当時
の面目これにしく人あらず大御所薨しさせ給ふてのち
将軍家につかへ奉る明れは元和三年常陸国笠間の城
を賜る《割書:三万二千石を領する世につたふる所は池田紀伊入道の息輝政の参|議は大御所のむこ君と成てのち見参のついてに御うちに永井》
《割書:右近太夫と申すかさふらふなり所領いかほとをや給ふらんとありしかは|五千石を給ふと仰られしそ父にて候入道か首の価はいやしくあるもの哉》
《割書:と申されしかは忽に笠間の城に十万石の地そへて給ふと云あやまれる|にや按するに直勝に禄多く給へとありしは 信雄卿なり入道をうち》
《割書:し事をほめたまひしは太閤也直勝次第に大名となりし事皆本文の|ことし五千石を給りしは関東へ入らせ給ひし時の事也その後に所領くわへ》
《割書:られしは関か原大坂の賞なりし也笠間を賜りしは大御所薨しさせ給ひし|のち大相国家の御代のはしめ也輝政には大坂の兵おこるへき一年のまへ》
《割書:慶長十八年の正月に卒せられしそのゝち三年をへて直勝に笠間を給ひ|し也又笠間を賜し時は三万二千五石をこそ領したれ七万石にはあらすすへて》
《割書:世にあやまりつたふる事これらの|類ひいくらといふ数をしらす》同五年福島左衛門太夫正則つみ有て