伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(五) - 翻刻

藩翰譜(五) - ページ 36

ページ: 36

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【右丁】 国を除れし時直勝御使として行むかひ事故なく安芸備 後等を收とる此時常陸の榊【ママ】岡土浦等の地加らる《割書:二万石を加られて|五万二千石を領す》 同八年出羽の最上か滅ひし時本多上野介正純と共に御使承り ゆき向てかの領せし地收とる所に本多又罪蒙る事ありて直勝 鳥居左京亮忠政《割書:鳥居時に最上の|地を領せし初也》仰を承り正純爰より由利の地に 流さる此年直勝下総国古河城に移《割書:二万石を加られて|七万二千石を領す》とし六十三才にて 寛永二年十二月廿九日に卒す嫡男信濃守尚政家をつく 尚政生年十四歳にして父と共に小山関か原等の御陣にしたかひ 十六才より大相国家に仕へ奉り慶長九年常陸国貞【ママ 貝の誤記ヵ】原塚の 地を給ひ《割書:千|石》同十年叙爵し大坂前後の軍に随ひ五月七日 【左丁】 御使を承て先陣に行向ひ能首一ッとつて帰る明れは元和 二年武蔵国菖蒲近江国志賀等の地を加られ御書院の番頭 となさる《割書:四千石|加へ給ふ》同五年上総国にして地加らる《割書:一万石を|加給ひし也》同九年 遠江国にして地又加らる《割書:五千石を加られ|都合二万四千石》これよりさき大相国家 宿老の職に在て御書院番の頭を兼ぬ《割書:これを西城の御老中|といひし也たゝし宿老》 《割書:職を承りし年月諸役人|帳等につまひらかならす》父卒して後舎弟等と共に所領を わかちゆつらる《割書:父かわ【か脱ヵ】つ所六万三千二百十三石みつから領せし|所をあはせて凡八万九千百十三石余領せし也》大相国家 薨させ給ひし後寛永十年二月山城国淀の城に移《割書:十万|石》 これ畿内枢要の地にして帝城擁護の鎮たる故とそ聞へける 《割書:此時に宿老の|職は免されし也》正保元年《割書:一説に二年とあれと|石表の辞に随ふ》十一月廿三日従下の四位に