翻刻
【右丁】
のほせられ万治元年二月廿八日 致仕同八月八日入道して
信斎と号し子息へこと〳〵く所領をわかちゆつらる《割書:嫡男|右近》
《割書:大夫尚征七万三千石余二男大和守尚保七千石此人病者たる故にや三男伊賀守尚庸|二万石四男佐渡守尚【ママ】吉は兄大和守か養子たり一説尚吉を尚室につくり五男》
《割書:といふ五男外記尚春六男甲斐守|尚冬【ママ】二人ともに新墾田三千石ッヽ》嫡男右近大夫尚征父につき寛文七年
二月廿九日丹後国宮津の城に移る《割書:七万五千石ともいひ|七万三千六百石共云》延宝元年十一月
十二日六十四歳にて卒す嫡男越中守尚房二十八歳にして
父にさきたち寛文五年七月十九日卒しけれは二男《割書:実は三|男歟》
土佐守尚長をよつきとす尚長父につき延宝三年十二月
十五日信濃守となり同七年十一月朔日御奏者の事を奉る」
伊賀守大江尚庸は信濃守尚政か三男幼きより右大臣家に
【左丁】
つかへ父致仕の後所領をわかちゆつられ《割書:二万目|石》寛文元年六月
八日御奏者の事を承り同五年十二月少老の職に補せられ
同十年二月十四日京都所司代となつて所領加られ《割書:三万石を|領す》
延宝四年の春職ゆるされて明る五年三月廿七日卒《割書:ス》
四十七歳その子伊賀守尚富つく
日向守大江直清は右近大夫直勝か二男大坂前後の戦に
したかつて五月七日能首一ッきつて献る父卒して父か所領をわかつ
《割書:いかほとゝいふ事|いまた聞す》寛永九年叙爵し御書院の番頭に至る《割書:番頭を|承りし》
《割書:年月日諸役人|系図にもれぬ》舎兄信濃守尚政山城国淀の城賜りしとき
直清も所領加られて同国長岡の邑を給《割書:二万石を|領す》兄弟共に