伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(五) - 翻刻

藩翰譜(五) - ページ 38

ページ: 38

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【右丁】 京都の警衛にそなへらる慶安二年七月四日摂津国 高槻の城を給《割書:三万六|千石》寛文十一年正月九日卒八十一歳 子息市正尚時家をつき延宝八年七月十八日四十三歳 にて卒す 其子近江守直只家をつく実は右近大夫 尚征の二男尚時かよつきとなる 【左丁】     安藤 対馬守源重信は河内守頼信朝臣の二男肥後守頼清の曽 孫安藤太郎長基か後胤也《割書:按するに頼清は従四位上肥後守又安芸陸奥等の|守たり家の系譜にいはく頼清か子美濃守家系》 《割書:その子三郎太夫家基その子安藤太郎長基也長基か子高倉院蔵人成基その子|兵庫頭基重その子判官代業基其後は世次つまひらかならす世に又一説あり安藤もとは》 《割書:安倍姓たり仲麿七世の孫泰平と云鎮守府将軍になさる 其子朝仁鳥羽院の武|者所にさふらひて僧文覚を生とる賞に藤原の姓を賜ひ安藤左衛門尉とめされしより》 《割書:子孫相うけて安藤と称す朝任十一代の孫太郎家重これ也といふ仲麿の事は詳に国|史に見へしかは論するに及はす十六歳にして入唐し七十余にてかしこに死し其子その》 《割書:孫の本朝に来り帰しといふ事国史にみへす泰平といひて鎮守将軍たりしといふ|事もいまた所見あらす又文覚僧か事は高倉院御在位のほと治承三年三月の事》 《割書:鳥羽上皇崩し給ひし廿三年のゝちにありその時の事をしるせしものともにも信濃|国の住人安藤武井右栗文覚をくみとめしによつて賞に当座に右馬允になされしと》 《割書:そ見へしその名朝任とは見へす又もとより安藤武者とめされしかは|此事によつてはしめて安藤の称ありともきかす》重信か祖父 三河国住人安藤太郎左衛門尉家重初て岡崎贈大納言家に仕へ