伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(五) - 翻刻

藩翰譜(五) - ページ 39

ページ: 39

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【右丁】 参らせて徳川殿の御時に至る家重嫡子木工助基能徳川殿の 御時御旗本奉行を承て元亀三年十二月三方か原の戦に討死す 男子二人嫡子は帯刀直次対馬守重信は二男にてそ候ひける 直次生年十七歳姉川の合戦より高名をきはめしより長湫 の戦に敵の大将二人まて討て天下にその名をあらはせしこれまて 度々の高名数をしらす大御所駿河に御座を移されし後直次本多 上野介正純成瀬隼人正正成三人奉書連署の事承るその後 遠江宰相殿にはつけられたり《割書:慶長十五年の事也といふ子孫|今に紀伊家の長臣なり》重信 童名は彦十郎成人の後 又【ママ】左衛門と申これも長湫の戦に 高名して後中納言殿に付られて宇津宮の御陣にしたかひ 【左丁】 上方の兵起しかは山道の御供す此年慶長五年四月九日叙爵 同十五年十二月廿五日上野国吉井の地を給ふ《割書:五千石これ迄いか程と|いふ事詳ならす》 十二年に奉行職を承る《割書:諸役人帳を按するに御納戸頭の内に安藤|又左衛門と云有さらは初はこれらの御役をもへし也》 十七年十二月廿一日下総国小見川の地を加賜ふ《割書:一万石をくはへられて|一万五千石を領すと云》 十八年常陸国下野国等にして所領くはへ給ひ《割書:鹿島結城二万石を|給り三万五千石に至る》 《割書:一説に此事は天和元年|なりといふいかゝあるへき》大坂の兵起りし時将軍家の御供して 打たつ大御所近江国永原に御陣をめされて早々のほらせ給ふ へき由を仰つかはされしかは御勢をは重信に属られ御みつからは 近習の人々はかり御供にてのほり給ふ其後東西御和睦有て 御上洛有しにも 重信又御跡にとゝまる事 数日の後