翻刻
【右丁】
少輔重之父にさきたちて卒しけれは嫡孫対馬守
重貞【ママ】家をつき《割書:六万|石》二男丹波守 重好父か所領を分
かち給ふ《割書:六千|石》三男壱岐守 重常叔父 伊賀守重元か
よつきとなる《割書:一説に丹波守に五千石壱岐守に|千石をわかちたまひしといふ也》
【左丁】
板倉
伊賀守源勝重は陸奥守義明朝臣五代の孫足利宮内少輔
泰氏の二男板倉五郎義顕の後胤也義顕また渋川と名のる
それか末葉三河国額田の郡小美村の住人八右衛門尉好重か
時に当て同国松平大炊助好景に属して永禄四年四月
十五日好景と共に吉良義昭と戦てうたれぬ好景男子
三人あり嫡男杢右衛門尉忠重は好景か男故主殿助伊忠に
つかふ伊賀守勝重は好重か二男にていとけなき時僧となり
当国夏山といふ所の 禅院にて候ひける三男は喜蔵定重
主殿助宗【ママ】忠につかへ《割書:伊忠の|男也》天正二年七月高天神の