翻刻
【右丁】
《割書:は所詮たかひに面をも見も見られもせぬにはしかしとおもひてかくは
|座をへたつるにて候と答へしと也そも〳〵日々に神明にいのりて》
《割書:私なからん事をちかひまつ我心を内外よりやしなふて正しくなして|そのゝちにうつたへをきく政をなす是しかしなから君につかふるに》
《割書:力をつくせしかゆへなれはいにしへの項良?の吏といふともいかて此人に|すぐへき○又或人のいひしは此人官友内客来の亘川(本ノマヽ)【ヵ】 ともになりし》
《割書:人のうたかひをうけし事一度ありきまことにつゝしむへき事也|一とせ質物のうつたへありしに都に代〳〵質とるあき人の古法を引》
《割書:出し例として殿にいまた此事はしろしめさぬなといひし事有その|のち或人資し物を質とす かのあき人とりおきぬその事あらはれて》
《割書:盗人つみにふすかの質とるあき人もそれに坐せられて一族こと〳〵くに|誅せられぬ此坐死にあたらすこれはこのあき人もそれに坐せられて一族こと〳〵くに|誅せられぬ此坐死にあたらすこれへこのあき人はちかましくいひし事ある》
《割書:反報にやと京童はいひし也これより外には三十余年かうち執行ひ|し処の政人のとかむる事なかりし後世にはありかたき賢臣也といひしを承る》
嫡子阿波守重郷家をつく《割書:四万五千石二男伊予守重頼【ママ】に五千石を|わかつそのゝち重頼大番頭となり又一万石を》
《割書:くはへ給て上野国|安中を領せし也》重郷四十三歳にして寛文元年十二月十七日
卒す其子隠岐守重常父を継て後寛文九年二月
【左丁】
十五日伊勢国亀山の城に移る《割書:五千石加へられて|五万石を領す》
内膳正源重昌は伊賀守勝重か二男大御所に近く召つかわれ
営中の事を執る《割書:近習出頭人|衆といふ》慶長十年の夏叙爵す《割書:世の人|臙脂》
《割書:内膳と名つく周防を蘇芳といひ|かへてもとより色のまさりぬるとの心也》大坂の軍はしめ御和睦の事なり
城中にゆきむかひて豊臣家の御起請文を請取へき人を
撰まれしに重昌そのとし廿六歳此御使にさゝれ只一人城に
入て大御所のおほしめすまゝに事を調て帰る大御所薨し
給ひし後大相国に仕ふ事大御所の御時のことく 西城に
うつらせ給ひし時御書院番頭をかぬそのゝち寛永十四年
十一月肥前国島原の賊徒おこりし時追討の御使を承て