翻刻
【右丁】
馳むかひ明る十五年正月元日西国の諸軍勢をひきゐ
城をせめてうち死すその時五十一歳嫡子主水重矩とし
廿一歳父と共に築紫に赴き重昌うたれて後父か弔【吊は俗字】
軍せんと手の兵引具し城中に攻入散々に戦ひ首多く
きつて引返す万治三年十一月廿一日 大坂の城番と
なされ所領加給ひ《割書:一万石を加へ|凡二万石也》寛文五年十二月廿三日関東に
めされて執政の職に補せらる同廿七日従四位下にのほる
《割書:ことし寛文五年正月二日の夜雷大坂の城におちかゝつて五重の層楼|こと〳〵くにやけうせぬおもひもよらぬ事なれは城中城外もつての外に》
《割書:周章し火すくはんとて内にいらんとするに城中の女童は外ににけ|出んとたかひに門〳〵をあらそひ出し合されて入る事も得ならす こゝに》
《割書:重矩か守る所 京橋の口は堀川の外をさる事数十歩たちまちに柵を|むすふ柵の中又門をひらけり兵門々を守りて甲乙の人の闇入を禁す》
【左丁】
《割書:かねて又此ほとりなる所領の民に下知してもし城中に火あらん時は是を|もち来りて其倡を あはせて郎従等か 妻子を引つれてゆけとて又》
《割書:蛤の貝の半は民にあたふその貝のうちに郎従の名をしるす半は|郎従にあたへてかの氏の名を貝のうちにしるし配分す此夜かの民とも》
《割書:かはせ来り〳〵府を合せて郎従等か妻子こと〳〵くつれてゆきし程に|郎従に身のほたしなけれは一筋に城の守りをかたくししつまりかへつて》
《割書:音もせすかゝるそなへいくらも|ありて世の美談となりぬ》同六年七月廿八日所領加らる《割書:二万石加へられ|四万石領す》
八年二月朔日くはうに京職の事を行ふへき由を承る政務の
事猛をもつて寛をすくふ法皇ことに其能を称しさせ玉
ひ叡感の事多しことし十二月廿三日侍従に任せられ九年
従四位上に叙せらる十年十月関東に帰て執政元のことし
十一年二月十日所領を加へ玉ひ《割書:すへて|五万石》十二年《割書:壬》六月三日下野の国
烏山の城を 給ひ明る十三年五月廿九日五十七歳にて卒《割書:ス》