翻刻
【右丁】
嫡子伯耆守重良天性多病なりしかは二男石見守重通
をよつきとす《割書:一説に重良か子重宣幼き|うち家事を行はしむ共いふ》重良父にさきたちて
寛文十一年五月廿八日に卒《割書:ス》その子越中守重宣なり
石見守重通ははしめ叔父筑後守重直か嗣となりしか
兄重良多病なるによつて実父重矩か嗣となり我子
千次郎をもつて重直か嗣とす寛文十三年重矩か
家をつき延宝八年九月廿一日寺社奉行となりて御奏者
も事をかぬ又内膳正となる
【左丁】
井上
主計頭源正就は半左衛門尉清秀か三男也《割書:清秀まことは阿部大蔵|少輔定吉か子とそ聞へける》
《割書:定吉か家の女懐妊の事ありて後井上半左エ門尉某か家に嫁して男子をうむ|これすなわち清秀也今井上の子孫 鷹の羽を紋とする事これ阿部の家》
《割書:紋たれは也清秀成人のゝち大須賀五郎左衛門尉康高の手に属す|阿部大蔵少輔か贈大納言家に忠をつくせし事は大久保かものかたり》
《割書:家忠日記増補阿部四郎兵衛入道か事記等につまひらかなり あわせ考ふ|へし又井上は河内守頼信朝臣の三男井上掃部介頼季か後也といふ》
正就はしめ半九郎と申て 大相国家御幼稚の時天正
七年よりつかへ参らせて常に御側に伺候し御納戸の頭を兼
御扈従組番頭になされて小十人歩行衆等の頭を兼凡そ
三職を掌て大坂の戦にしたかひ元和元年正月廿七日叙
爵主計頭になされことし夏ふたゝひ大坂の戦に随ひ手の物共