伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(五) - 翻刻

藩翰譜(五) - ページ 50

ページ: 50

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【右丁】 に首きらせて献る《割書:主計頭か手の同心|首六ッをきれり》同き三年宿老の職に任し 御書院の番頭をかぬ同き八年遠江国横須賀の城を給る 《割書:五万二千|五百石》寛永八年八月十日殿中にして豊島刑部かために 刺れて死すとし五十六とそ聞へたり《割書:豊島は御目付たりこれ婚|約違変の事ありて》 《割書:豊島ふかく正就を恨みし故也|といふ詳なる事はしらす》嫡子河内守正利家をつき《割書:四万七千|五百石》二男 帯刀正以に所領をわかち給ふ《割書:五千|石》正保元年正月十一日河内守 正利常陸国笠間の地へうつされて所領の地くわへ給ふ《割書:五万石|領す》 明れは二年六月廿一日御奏者の事を承り万治元年七月四日 寺社奉行の職をかね寛文九年六月十五日に致仕す嫡子 相模守正任家ゆつられ舎弟等に所領わかつ《割書:左兵衛正信二千石|正興千石共に開発》 【左丁】 《割書:の由|也》同き九月六日 相模守正任御奏者の事を奉る 筑後守源正重は半左衛門尉清秀か四男はしめ清兵衛と 申す慶長十三年はしめて大相国家につかへ奉り元和三年 御目付の職になされ寛永四年叙爵し同九年九月朔日 五の字の職御免有て十月三日所領くはへられ十二月十七日 始て惣【猪に見えるが誤記では】目付の職おかれて正重等其職を奉る《割書:水野河内守柳生|但馬守秋山修理亮》 《割書:正重と共に四人の職に任す|これ今の大目付の事也》同き十七年六月十三日上総国に して所領賜る《割書:一万石を領す一説此時大目付の職承はる|これ加々爪式部少輔忠澄か闕なりといふ》ことし 筑紫の地にして西洋耶蘇の法を沙汰す同十九年仰を 承て東海道の人民等か愁苦の事をとふらふてその事を