伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(五) - 翻刻

藩翰譜(五) - ページ 52

ページ: 52

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【右丁】 殉死す年四十九才《割書:世につたふる所は 大相国のよつきの君いまた定まらさる【ママ】し|時御台所国松殿を御寵愛あさからさりしかは此出羽守等を》 《割書:さきとして天下をは此君しろしめさるへしと思ひ竹千代殿には常にまいる事も|うとかりしかは大相国家かくれさせ給ひ将軍家の御代になりなは一定つみかう》 《割書:ふるへしと思ひ前途後栄をはかりてかく殉死しけると也按するに出羽守か甥に|森川若狭といひしは童の時天下無双の容色也 大御所の外孫蒲生下野守殿の御》 《割書:寵愛あさからす 所領あまたたひて彼家にして当時の権勢かたをならふる人|なししかるに下野守殿御とし廿五才にて寛永四年正月四日にかくれ玉ひぬ此頃の》 《割書:ならはしにて色を以て寵をうけしものはかならすその君かために殉死する事|にてありけり其家の事はいふにや及ふ天下の人々守殿の御供して死せんもの》 《割書:此森川にこそあらめと思ふ若狭か母若狭をいさめてわ殿は守殿の御供して死なんと|思ふかいまた盛にたにみたぬ御身をさきたてゝ 母はいかて 此世に なからふへきたとへ》 《割書:御身死したれはとて守殿かへらせ給ふへき道にもあらすされは心ある人は殉死とや|らんいふ事よからぬ事といひぬれとちかき世のならはしなれは 世の 人〳〵》 《割書:いたつらなる命をはすつれまことの道にもあらぬしにして母をも共に失はん|事は忠にも 孝にも はつるへけれは 相かまへて御供せんとなおもひそ 母か》 《割書:ゆかりのもの 都には多かりいかにもしてこゝをは忍ひ出てのほり給へかし|又御身か一生を送りすこさん程は年頃たまはる【ママ】し唐の大和の家物多し》 《割書:金銀はなをすくなからす御身かいてゝいなんあとのほとの事はわしはよきに|はからふへしあなかしことく忍ひ出給へといひけれは供人少々引くして奥御【ママ 州ヵ】》 【左丁】 《割書:会津をは夜にまきれしのひ出東海道にさしかゝつて 都にのほる若狭か一族|なりける小川土佐と聞へしは蒲生家にてかくれなき剛の者誠に家のおとな也》 《割書:けりふしきや若狭かはやはらきるへき身のいかてかくは遅かりけるそと一日|二日まちしかとその事聞へさりしかは最期の事を もよほしけるにはしめ》 《割書:のほとは母かはからひに若狭かこたふる所異にしてとかくいらへせしか 後には|にけ出ぬといふ事あらはる小川大におとろきて手の者共に いひつけて》 《割書:いそき追かけからめとつて来るへしと下知し 江戸へも飛脚立て此よし|を出羽守につく出羽守以の外にいかりて 家の子 郎等一人ものこらす》 《割書:海道をさして追かけうちとゝめよと下知しけれは弓よ鉄炮よとひしめき|てむちあふみを合て追かく追手の勢箱根の関にいたりし時関守とも》 《割書:みな〳〵とゝめて一人も通さす出羽守か一族の人々あつまりてわ殿は当時|執政の人にて世のさわきをおこし給わん事しかるへからす事すてにかくの》 《割書:ことし 世にも披露せしうへはかれをうちたりとも一門の恥のかるへきにもあらす|つみつくりにさておき給へといへは追手の勢も箱根より引返すいつれの》 《割書:世にもある事にて当時権勢あり 人には上にはしたかふやうに見ゆれとも|下にはねたみそしるはよからぬ人のならひなれは 天下 の 人〳〵心》 《割書:やすきとちはうちより〳〵出羽守か日ころ我身御覚の忝きに君の|御大事あらんにはまつさきに死して恩にむくひ奉らんとおもふ気》 《割書:色なれとしたしき猶子にかゝる大臆病の人もありけり なそれか|伯父まことのきはの事 おほつかなし なとあさけりわらふときこへけれは》 【同 頭部欄外】 彼若狭は後 京に住して 商人のやうに なり笹屋宗■【亮ヵ】 といひて寛文 のころまて なからへてありき そのゝちの事は いかゝにやら しらす