翻刻
【右丁】
《割書:出羽守いよ〳〵はらあしき事に思ひけりほとなく 大相国家かくれさせ|たまひ御供すへきやうなくみつからふかく御恩に感し まいらする事》
《割書:おほかりしかはかくは殉死しけるとそ見へける 此時また御供すへき人なり|なといひしにさもなく世にありしをは出羽守か事をためしに引てそしる》
《割書:人もありきそしらるゝ人のかたさまは出羽守か死したりしをねたましと|思ふもありてかくよからぬさまにいひなしたる也 又いかなる事にや》
《割書:大相国家のしたしうめしつかはれし人々かくれさせ給ひし後何として|将軍家の御覚よからぬもおほかりしかはかくいひしもむへなりかれこれ》
《割書:偏に出羽守不幸とこそいふへけれかゝるうち〳〵の事は世にしる人今はな|けれは出羽守か志の程むなしからぬとあはれなれは事は長けれとも爰に記しぬ》
重俊か嫡子伊賀守重友家をつき《割書:上総生実の|地一万石也》寛文三年正月
廿三日五十六歳にて卒す其子出羽守重信父につき身
いたわる事ありて致仕し子息紀伊守重興つく《割書:重信か二男|下総守》
《割書:重名は番頭を歴て寛文二年二月御側衆にいたりしか|同き六年十二月八日に卒す五十三歳其子摂津守 重明也》
【左丁】
久世
大和守藤原広之は三左衛門広宣か三男なり広宣三河
国に住人徳川譜代の御家人にて大須賀五郎左衛門
広【康の誤記ヵ】高か手につけらる《割書:三百石を給ひし|父は平四郎と云》初め三四郎と申せし時
生年十六才坂部三十郎 広勝十五才二人ともにうち
つれて軍し おなしくよき敵うつて 高名せしより
此かた武勇の誉当世にあらはれ三四三十とよはれしは
かれら二人か事也関東にうつらせ給ひし時二人一所に
上総国横田の地を賜ふ大須賀の男出羽守忠政遠江
国横須賀の城に移りし時久世坂部おなしく忠政に