翻刻
【右丁】
したかつて移らす二人つゐに御不審を蒙て武蔵国
片山といふ所に引こもつて居たり《割書:横田を領する|事は本のことし》大坂の軍
起りし時二人おなしく将軍家の御陣頭にはせ参る
かれらはさるふる兵なれは両御所の仰を蒙て諸手の人々
の陣々に御使してその功これすくなからす軍終て後
二人おなしく下総国海上の地を賜ふ《割書:二千七百石つゝ加給りて|おの〳〵 三千石を領す》
そのゝち二人共に所領の地くはへられ《割書:二千石つゝ賜りて|各五千石を領す》二人又
おなしく馬武者十騎歩兵十八人をつけらる 《割書:総御鉄炮|頭といふ》
広宣か嫡子三四郎某父か闕に補せられて御先手の
事を承る《割書:則総御鉄炮|頭なり》二男は坂部か子なけれは養て子とす坂部
【左丁】
佐十郎と名乗て大坂の合戦にうち死す広之は
三男なれは別に所帯を給て御番衆となされ《割書:はしめ|三之直》
寛永十二年十一月十七日歩行衆の頭を承り同十五年
十一月に次第を歴すして直に御扈従組番頭に
至り慶安元年九月八日御側衆となされ所領加へ
賜り《割書:五千石|を領す》右大臣家世をしろしめされし初承応元年
正月十一日御馬の事を掌るあくれは 二年九月
番頭をゆるされ寛文二年二月廿二日少老の職に
補せられ同三年八月十五日 宿老の職にうつり此年
九月四位の侍従になされ同九年六月廿五日下総国