伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(五) - 翻刻

藩翰譜(五) - ページ 59

ページ: 59

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【ここに注記を書きます】 して志摩守に任し寛永五年十月御扈従組の番頭 になさる左大臣家の御覚ことによろしく同き十年 六月少老の職を奉て番頭をかぬ《割書:御扈従組番頭を|かねし事寛永の》 《割書:十五年十二月|にいたる》十六年正月十一日下野国壬生の城を給ふ 《割書:二万五|千石》十八年十月廿七日四十二歳にして卒し嫡子 志摩守安次家をつき《割書:二万|石》二男越中守供次父か領 をわかち給《割書:五千|石》 【左丁】     米津 出羽守藤原由盛は勘兵衛尉由正か男累代の先祖徳川譜代の 御家人也《割書:世につたふ関白道惟公の後信濃守親康か子親勝米津新大夫と称し|米津の氏給られし親勝七代の孫刑部少輔信勝初て三河国高橋に》 《割書:居|す》由盛か曾祖左馬助勝政其子小太夫政信徳川殿につかふ 一向専修の門徒等かそむそむきまいらせし時政信御方にあつて終に 二心なく三方か原の戦にさきかけして討死す《割書:ふるき三河物語り|というふ書に》 《割書:米津藤蔵同小太夫と見へたり此二人或は■姪或は兄弟の間なりしや詳なる|事いまた聞す彼藤蔵年老入道のゝち浄真と名つくそのわかかりし時矢田作十郎》 《割書:波切主税大原左近右ヱ門八右ヱ門なと相幷ひし功の者にて有けり或時三郎殿|浄真か高名の事共尋仰られしに鎗とも申しつへき事十二度候ひし八度は》 《割書:某一人か鎗にて侍り人々の事はからひて多のものたすけし事共冬の戦|仕し事 其証とも引て答申せしか杉浦八郎五郎承りて高橋縄手にて馬上》 《割書:にて敵 三崎をつきおとせし事の候と申せしかはいや〳〵それらの小事はいく|たひか候へしと申せし也此余淨真かたりし事共三河の人々いひつたへし事》