伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(五) - 翻刻

藩翰譜(五) - ページ 60

ページ: 60

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【右丁】 《割書:おほく侍りぬ|とそ》其子すなはち勘兵衛尉由正也初小牧の御陣より して御【三の誤ヵ】方か原の軍に随ひ文禄中 中納言家に使番の 職を奉り慶長五年の秋山道の供奉し同九年関東 の町奉行職を承り寛永元年十一月廿二日六十二歳 にして死す出羽守由盛父につき万治元年の四月 御書院番の頭となり寛文三年六月七日大番の頭 にうつり同六年二月十六日大坂の城番となる《割書:一万五千石を|給て武蔵国》 《割書:くきの地を|領す》其嫡子伊勢守政盛二男周防守盛信 【左丁】    伊丹 播磨国源康勝ははしめ喜之助と申せしより大御所 将軍家に仕奉り大坂の合戦にしたかひ首とつて献り 御納戸の頭を経て終に御留守居に至る《割書:其家の系譜を見ては祖|先の事詳にはしらす》 中頃松平右衛門大夫 正綱と共に郡国の吏務貢賦の 結解等を司り寛永十九年三月三日初て勘定頭三人を 置れし時其第一に撰れき年老て頭の毛こと〳〵く禿 たりけれは自ら入道して順斎と号す《割書:諸役人帳を按するに此人|年頃松平左衛門大夫と同》 《割書:く天下吏務の奉行人たり 後に二人なからいさゝか御勘気をかうふる事|ありて蟄居せりその跡をは御代官 伊奈半十郎 大河内金兵衛 二人》 《割書:かりにつかさとるそのゝちこれも御代官曽根源左ヱ門其事をかねつかさとる|こゝにおゐて播磨入道順斎酒井紀伊守杉浦内蔵介三人を以て御勘》