翻刻
【右丁】
御輿よく仕て刈屋の御館に入まいらせよといひふくめて
立帰るあまりに御行末のおほつかなさにゆきもやらす
五六町がほどをへたてゝはるかに跡を見送るあんの
ごとく信光の兵混甲百騎はかりこなたに向ひ鞭鐙を合
て馳来る送まいらせし輩希有にしてこそのかれたれ松平
紀伊守家広は 岡崎殿の北の方の御姉にそひしかはこれも
刈屋へ帰しけるに送りし者共一人も不残うたれてけりされは
女にてわたらせ給へとも海道第一と聞へさせ給ひし弓取の
御母にてましませは御思慮の程いみしく又政親かはからひ
情ありとそ申ける同き七年三月十九日岡崎殿今川の人々
【左丁】
と同く織田弾正忠信秀と小豆坂に戦給ひし時手合の戦に
政親さきかけして三郎五郎 信広の郎等鳴海大学助といふ
大剛の兵をうつとれは敵の軍破れにけり同き四月十五日
岡崎殿にそむき信秀にしたかひし松平蔵人信孝 岡崎に
をしよす政親石川大将にて 明大寺の辺りに 出向ひ戦ふて
信孝をうつとりいく程なく 岡崎殿うせたまひ 徳川殿
駿河国にとゝめられ給ひしかは政親等岡崎を守て若君
御成長の程をまつ義元うたれ給ひし後徳川殿岡崎の
城に還給ふかくて永禄四年の春同国吉良義昭の
一族荒川甲斐守義虎吉良を叛き政親につきて徳川殿の