伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・上) - 翻刻

藩翰譜(四・上) - ページ 10

ページ: 10

翻刻

【右丁】 やふれておちてゆく軍すてに終て後 織田殿 忠次を 召れ薙刀を給てけふの功をそ賞せらる《割書:此薙刀をは忠次|後に徳川殿に》 《割書:奉りし|なり》今年六月二俣の城の先陣し同八月 諏訪の原の 城つゐに落ぬ《割書:遠江にあり ことし六月|にせめられしなり》又小山の城攻へしと 議せらる忠次諫けるは武田か城すてに落ぬ此後所々 皆かくこそ有へけれまつ此度は御勢をかへさるべくもや候と 申す徳川殿もちひたまはす 忠次かさねて 攻む信玄 入道は 弓矢をとつて当代に類多からすされはその 子息なれは四郎やかてうしろまきし候ひなん長篠より 此かた打続たる戦に御勢すてにつかれぬ戦ん事謀に 【左丁】 あらすと申す松井左近忠次《割書:後に松平|周防守康親》すゝみ出て小山の 城せめられんに何条事かあるべき 四郎がうしろ巻は かなふへからすことし長篠の合戦によきものあまた うたせつ今日 越後の敵に 信濃国とられしとこそ はかるへけれこれより後五三年か程こなたにむかひ 軍せんことおもひもよらすなといひけれは忠次強て諫め 申におよばす小山の城をせめらる四郎勝頼これを聞て 甲斐信濃上野の軍勢のいきのこりたるもの共に長篠 にて討れたる者の或は子或は弟なとの僧となり商と なりし者をこと〳〵くにかりもよほし都合其せい