伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・上) - 翻刻

藩翰譜(四・上) - ページ 11

ページ: 11

翻刻

【右丁】 二万余をひきゐて小山の城の後まきす御方のひと〳〵 左衛門尉かいひしことく武田又うち出たりとて引返さんと する所に 城中よりも切ていつ 忠次 士卒を下知し とつて返しみつから真さきにすゝみ左衛門尉 我也と 名乗かけ〳〵敵のせいを打破る武田か方にも高坂 弾正忠四郎をつよく いさめけれは 戦ふにはおよはす 同き四年二月七日上杉の管領輝虎より 忠次に書をそ 給はりける是徳川殿と相謀て 武田亡さんとの事也 けり《割書:夏目か記を考るに元亀三年の秋徳川殿より遠江の国|秋葉山の先達加納房といふ 山伏に熊谷小次郎をそへて》 《割書:御使とし樽肴にからのかしら十ならひに浜松の城の本図を謙信|のもとに送り つかはさる この木【本の誤ヵ】図ちかきころまて 上杉の家にあり》 【左丁】 《割書:はや川伯雲植村出羽守か もとよりも河田直江に書を贈れりとしるす|しかれは今年初て謙信とよしみむすはれし にあらす》同六年 武田北条黄瀬川に対陣せし時其陣に乗して 駿河の国 に入給はんと議せられし に忠次申旨ありて御いくさを とゝめらる同八年九月 駿河の国田中の城を攻め十月高天神 城落しとき首四十一切て献る同き十年武田亡ひしとき 先陣うつて甲斐に入織田殿 駿河遠江三河を経て本国に 帰りたまふへしと聞へしかは徳川殿まつ忠次返して御 まうけの事仰つけられ四月十二日織田殿浜松にいたり 忠次にむかひ此度武田をうちし事是しかしなから徳川殿 武功による所なりと 宣ひて夜 いたくふくる迄忠次と