翻刻
【右丁】
物語し相応の興をそへられける同十八日吉田の城に着給ひ
もとより此所はをのか守る所なれは忠次みつから御饗応す
真光の太刀に黄金二百両《割書:一説に|二千両》そへて引連たりことし五月
徳川殿安土へ御参ありしに忠次御供に給ひて織田殿
みつから配膳せらる六月二日 織田殿 父子うしなはれ給ふ
とき 徳川殿 和泉国堺の 浦より本国へ帰らせたまふ
道のほと忠次等供奉して岡崎に至り給ひ光秀追討
あるへしとて軍勢催して発向あり忠次先陣うけたまはり
尾張の国にうち入り光秀すてにうたると聞てけれは此所
より引返し甲斐国にむかひたまふ忠次また先陣す七月
【左丁】
十四日忠次信濃の国十二郡の事 知行すべき よしを承る
東三河の 軍勢引具してむかふ国人等あへて 忠次の命に
したかはすかゝる所に北条左京太夫氏直 武田か領せし国々
したかへんと 数万騎を引率して打て入と聞しかは忠次
信濃国をさつて甲斐国に引返し九月十日忠次一勢自余の
勢をましえす北条の勢をうちやふるかくて諸方たゝかひ
敵皆利をうしなひ氏直美濃守氏規を《割書:北|条》使として徳川殿と
中なをりし大道寺山角等を質にをくるみかたよりは忠次か
嫡子小五郎家次をこそ出されたれ程なく徳川殿の姫君
氏直の北方にさたまらせ給ひしかは互の人質返されて