翻刻
【右丁】
忠次して見せらる此山まことによからんぬと申けれは頓て
御陣をうつされけりかくて四月九日長湫の 合戦の日
忠次をさきとして宗徒の人々あまた小牧山にとゝめらる御方
勝軍しつと聞えしほどに秀吉の多勢楽田をたつて
長湫のかたに馳向ふと注進引もきらす忠次人々にむかつて
戦つかれたらん御方の此あら手に多勢と軍せん事
大事なりいさ我々留守の料にかたきの陣々打破て
やきたてゝ秀吉その煙を見さらんこそ 我殊更やふれぬと
おとろきはる〳〵に軍にもせし一定御方又勝軍せんと
覚ゆるはいかにといひけれは人々此ももつとも然るへしとて
【左丁】
一同にうつて出んとす石川伯耆守数正いや〳〵此定然るべからず
我らは此所よくまもれとこそ承れとて 長僉議に時を
うつす忠次大にいかつてたかひに争論に及ひ事ゆく
へしとも見えず本多平八郎忠勝さらは尾幡に馳向ひ
御先をかけんとてうつて出ッ 石川長門守康成もおなじく
つゝきて出たりける多からぬ御方次第に無勢になり 人々
又数正か心をうたかひしほどに忠次むなしく兵をとゝむ
《割書:数正此ほとより秀吉朝臣にこゝろさし|を通《割書:シ》しにや といひしなり》徳川殿すてに小牧に引通し
たまへは此日の軍はさてやみぬ明れは十日秀吉楽田にとつて
返し小松寺山に陣をとる凡敵の勢いくらと云数をしらす