翻刻
【右丁】
西は日保万陀羅谷東は二重堀の要害なり小松山に打つゝき
北は青塚尾口楽田に至るまて雲霞のごとくみち〳〵て七ヶ所に
陣をわかちたり御方纔に一万八千人十六手につくりて 忠次
直政《割書:井|伊》を先陣とし二重堀にひかへたるかたきの陣の前を経て
東野へうつて出水をへだてゝ陣を取かたき出て戦はねは御方も
しらみて戦はす日既に午の時はかりになつて御方一勢〳〵
引て帰りかたきあへてしたふにもおよばす《割書:此日二重堀の要害に|ひかへたる秀吉の大将》
《割書:細川蒲生堀長谷川津都合其勢一万余騎秀吉の陣に使をたてゝかたき|まぢかく打出たり我とうち出て戦ふへし御勢をくはへらるへしといふ
|秀吉制してかたき馬をはせきたらは御方は陣をかたふして ふせけ
|みかた出て戦ふ事あるべからずと下知せらる忠次直政細川か軍せんと|ひしめくを見てけちらしてすてんとはやりしを 徳川殿下知あつて|秀吉か小松寺山の軍勢二重堀をこへて来らんほとにかたきいかほど》
【左丁】
《割書:さはきみたるゝとも御方かつて戦ふへからすと制し給ひけれはたがひに|小川をへたてゝ日午の時はかりに いたれとも矢軍をたにせさりしに》
《割書:また御使来りて先陣引返すへしとありしかば|御方一勢〳〵小牧山に引てかへりしとなり》秀吉やかて 軍勢
をわかち陣々を守らせ 自ら八万余騎を引て帰り 給へは
徳川殿も忠次に小牧を守らせて 六月の十二日清洲の城に入
たまひ同き廿二日 蟹江の城を攻らる忠次大手を攻やふれは
榊原入かはつて終に城をそおとしけりさるほとに秀吉多く
の軍勢をしたかへこゝかしこうち出て戦ふ事 凡十一ヶ度
こと〳〵く徳川殿のためにうちやふられ信雄卿に中直りす
さらはとて徳川殿忠次に清洲を守らせ小牧尾幡に軍勢
こめ三河国に引かへさせ給ひしかは秀吉その使をうかゝつて