翻刻
【右丁】
又伊勢の国に発向す忠次かくと告けれは徳川殿また清洲の
城に至りたまふ秀吉是を聞給ひ此人のかくたす けん
ほどは信雄うしなふ事かなふへからすとて終に北畠殿に
見参し此卿を頼て於義丸殿を養君となし又御妹を浜松へ
参らせ給ひしかは徳川殿も都に上りたまふへしと議せらる
忠次此事ゆめ〳〵然るへからす東西ふたゝひ軍起るとも京家
の人々か軍心よく起て候はゝ幾度も打破て参らすへし
関白へ参らせたまはん事ひとつに思し召とゝまらせ給ふへき
にて候と言葉をつくしとゝめ申てけれは御一門の 人々を
さきとして普代相伝の御家人等皆此羲につく徳川殿
【左丁】
聞し召てかた〳〵か申とゝむる所神妙也家康はおもふ子細
ありたとへ関白にあさむかるゝ事あるともくやむへからす先人の
かほとまてに我心をとらんにはなと其心に答さらんかつは
家康関白と中たかふて東西の軍起とも かた〳〵か心を
一ツになして戦はんに何ほとの事かあるへき去なからかたんと
おもふ軍にもまけまけんと覚る軍にも勝ツ 勝負かならすと
さためかたきはおよそ戦のならいなり抑我朝二百余年に及ひて
四海こと〳〵くみたれて人々一日もやすからすしかるに今や
すてにやゝしつかならんとするにのそみ東西又軍起て
月をかさね年を積は我国の事はさておきぬ天下又