翻刻
【右丁】
元年十月廿八日にそ卒しける《割書:家忠日記を案するに忠次の事を|しるすに天正十五年十一月その》
《割書:家へいらせ給ひしに終日このゝち家を子息にゆつりしと見へし|一説に忠次京都桜井の家に卒す 年七十歳也といふ》嫡男
小五郎家次天正十七年十一月徳川殿の供奉して上洛して
叙爵し宮内太輔となさる関白来年北条を追討あらんと
議定ありしかば 十二月十三日 家次仰を奉つて三河国
の人々に軍勢の催促す 明る十八年二月家次先陣の
第一にて長沢二連木の人々と下総国臼井の城を降し
ことし関東に移たまひしかば上野国碓氷の城を領す
《割書:三万|石》慶長五年関ヶ原の合戦には後陣をそかためける
《割書:遊軍の大将といふ一説此時中納言殿の御供して|真田表に たゝかひしといふ》同き九年上野国
【左丁】
高崎の城に移る《割書:五万|石》十年四月将軍 宣下の 拝賀の日
家次御太刀の役に推す当時の名誉武家の面目とそ
聞えける家次後に左衛門尉とめさる大坂前後の戦に将軍
家の先陣にて宗徒の大名十人をしたがへてむかひ首を
献る事三十一元和二年 越後国高田の城に移て《割書:十万|石》
同四年三月十五日五十五歳にして卒す其子宮内大輔
忠勝家をつく《割書:初慶長十四年正月廿三日 叙爵して大坂|両度の陣にしたかひ父か跡つきし元和五年》
《割書:三月信濃国|松城にうつる》同き八年出羽国鶴岡の城を給ふ《割書:十四|万石》寛永
三年九月従四位に叙す正保四年十月十七日 五十四歳
にて卒す嫡男摂津守忠尚父につき舎弟等に 所領を