伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・上) - 翻刻

藩翰譜(四・上) - ページ 20

ページ: 20

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【右丁】 安祥の城を攻られしか平八郎忠高城下に戦ひ敵の矢に 中て死す肥後守忠真も 永禄四年石ヶ瀬の戦に高名し 《割書:一番鎗を|あけし也》元亀三年十二月三方ヶ原戦にうち死す父子兄弟 同しく君の為に命をおとす中務少輔忠勝此平八郎忠高か 子にて是も始は平八郎とそ申しける永禄七年夏五月 徳川殿吉田の城を攻らる忠勝生年十七にてさきかけし初て 高名をあらはす《割書:忠勝一番に牧野宗二郎と鎗をあはすといひ又は|鵜殿石見守と鎗をあはせしとも いふ此日蜂屋半之丞》 《割書:手負て死したり是は忠勝に先をかけられてけふの軍に鎗とつての|高名 その 詮なし とて 太刀うち せしかゆへなり》 同き十二年三月五日懸川の合戦にさきかけす元亀元年 の夏織田殿備前守長政と《割書:大猷院殿の御外祖|浅井殿の御事也》軍起す越前の 【左丁】 守護朝倉左衛門督義景長政に加勢す信長また徳川殿の御加勢 をこひ申され三千余騎を引率し《割書:一説に|五千》近江国に至給ふ 軍すてに明日に極りぬ徳川殿つよからん方にむかはるへし とて明れは二月廿八日 姉川を経て 義景にむかはれたり 信長浅井と戦まけ軍し給ふと見へし所に忠勝先陣 にすゝみ士卒を下知してまつさきかく御勢さきをあらそひ ける三万余騎の《割書:一説に|一万五千》中へかけ入て竪さま横さまきつて わくる義景終にうちまけて散々になつておちゆけは浅井 の軍も敗れてけり《割書:按するに此軍の事は甲陽軍鑑信長記|家忠日記等にしるす異説おほし》同 三年六月武田大膳太夫入道信玄参河遠江をうちしたかへんと 【右丁 頭部欄外】 一説に永禄 三年二月 徳川殿大高の 城を守給ひし 時に御佐し 同五年今川か 士大将小原肥 前守三河国 長沢に入し時 忠勝十五才 にして敵の 首を取と いふ又同六年 牛久保にて 駿河の城所 助之丞と鎗 を合せ此年 【左丁 頭部欄外】 牧【「野」脱ヵ】宗二郎と 吉田乙塚にて 鎗を合せ 同七年 土呂一揆の 時柵をこへ て鎗を合 せしと云