翻刻
【右丁】
甲斐国を立てたゝちに 飯田の城を落す御方の人々此由を
聞て敵のやうをうかゝはんと見付の 原にうち出つ かたき
おもふにも 似ぬ多勢にて まちかく陣をとつてけり信玄
御方の勢を見ていかにもあいはかつてかたき一騎ももら
さすうちとれと下知す一勢〳〵うつて出かゝりむかつてすゝみ
来る爰に内藤三左衛門 信成御方の人々を制して三河遠江
の兵都合八千とこそいへそれか中こゝに来もの 四千にや
余るへき敵の勢は三万余騎しかも信玄といふふるつはものに
向て我等大将もましまさぬ手たて軍仕損する程ならむ
故に定て勝に乗て浜松に至らんすわつかに戦ふ御勢にて
【左丁】
軍したまはん事しかるへからすひとまつ爰を引返し信長の加勢
を待て後陣に八千人か先かけして戦んにいかて勝軍せては
あるへき去なからかほと間近く寄あふたる軍分して通さん事
信成いかにもかなふへからす誰か候人々下知して引給へといふ
忠勝ことし廿五歳黒糸の鎧に鹿角うつたるかふとを着蜻蛉
切といふ鎗を馬手のわきにかいかふて《割書:鎗の身長に柄ふかく二丈計|なる青貝をすつたり蜻蛉の》
《割書:まひ来てたちまちにふれてきれける されはかくそ名付し也忠勝年|老て後ある日 桑名の城下町や河原に出て馬に乗なから此槍のいしつき|とりてふりけるに帰りて柄三尺はかりきつてすてたり人あやしみ|けれは兵杖はをのか力をはかりてもちゆへきものなりといひしとなり》
二反はかりにをし寄たるかたき御方のまん中に馬をしつかに
あゆませ入御方を下知して ひきしりそき見付の人家に