伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・上) - 翻刻

藩翰譜(四・上) - ページ 23

ページ: 23

翻刻

【右丁】 による所也東国の事にましませは信長思ひをく事得し これよりは西国こと〳〵く平けなんと存す先四国を退治 せよとて三男信孝に《割書:後に美濃|の神戸三七殿》軍勢つけて遣しぬ信長又中将 と共に山陰山陽をしたかへんか為に近日に首途し諸国の軍勢を集 候はん程は都にさふらひ徳川殿は都のうちも見給ぬ所多からん しかれは程遠からすよきつゐてなれは畿内の名所〳〵をも 御心静に御覧あれやがて都にて又こそ見参には入へけれ 汝等は御先へ罷向はよくもてなし奉れと津田七兵衛尉 信澄《割書:信長|の甥》惟住五郎左衛門尉長秀を《割書:丹羽か|事也》摂津国へ下さる御道 しるへの為に具せらるへしとて長谷川竹丸を《割書:藤五郎秀一|後に忠郷朝臣》 【左丁】 参らせたり又此四郎次郎男と申は《割書:茶屋と|称す》都の商にて候が さか〳〵しきやつにて常は信長かもとへちかく召ものにて候 徳川殿にも御存とこそ承れをのれ道すからおかしき物語 をも仕て御心を慰申へしと仰下され同廿一日徳川殿近江の 国を御出あり都より初て所々めくり御覧する程に同き晦日 には和泉国堺の浦に到り給ひ織田殿もいまははや御上洛 の程也 家康も見つべき所をは 見つ都へ上りて見参に 入らんと思ふに 汝まつ参て此由を申せとて四郎次郎をば帰 されけり六月二日の 朝忠勝して今日御帰洛の旨を織田殿に つげ申され頓て界の浦を出給ふ忠勝馬をはせて上るに都の